2012年04月04日

夢のエベレストトレッキングでまさかの初日・・・

3月28日

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今日こそはと意気込む。しかも今日はこちらにも武器がある。
昨日おっちゃんにチケットを渡したところ。僕のチケットに向こうのミスで他人のチケットが混ざっていた。僕は今、ハーマンという名前らしい。
朝一で「mistake!!!!!」
と怒鳴りこむと、昨日のおっちゃんの抗議で知っていたようで、「あらごめんなさい。」といった感じ。
「ざけんじゃねえ!!」と食い付くと、早めの飛行機に乗せてくれた。

8時、日本人ツアーを乗せた飛行機に一人参加。16人乗りくらいのプロペラ機。客は10人くらいの日本人のじい様ばあ様ツアーズとそのガイドとポーター、そして僕。
日本人の年寄りツアーズを何度か見たが、非常に面白い国民性が見られる。日本人は空港などの公共の場では至って静かに待っているが、いざ日本人だけの空間になると中国人のようにうるさい。このツアーもまあうるさいうるさい。

離陸。すごい衝撃。綿と飴が配られていた。綿は耳に詰める。それくらいうるさい。そしてかなり揺れる。ルクラまでは30分くらい。カトマンズを抜けると棚田風景が続く。

ルクラに近づいてきた。ヒマラヤが綺麗に見える。壮観だ。
ヒマラヤとは現地語で「雪の棲家」。すごく簡単に成り立ちをいうと、かつて今のアフリカ大陸にあった今のインドが一年に数センチずつ動き出し、長い年月を経て今のネパールあたりに激突。その力でできたのがヒマラヤ山脈となったわけだ。8000mを超える巨山は世界に14座あるが、それは全部ここヒマラヤにある。よって世界の天蓋といわれる。

エベレストトレッキングについて簡単に言うと、ルクラという2800mくらいの街から、エベレストが綺麗に見える3大ポイントのカラパタール、エベレストベースキャンプ、ゴーキョと呼ばれる5000m以上のところまでを歩くこと。大体、高地順応日も入れて10泊以上はかかる道のり。

ネパールでは6000m以下は登山とは言わない。エベレスト登頂となると政府に許可を出し、一人100万円近くだすことになるが、この3大ポイントまでは簡単な手続きと1000ルピーで登れてしまう。
トレッキングと聞くと峻険な山道を想像するかもしれないが、実際は人が多く住んでおり、ゲストハウスやレストラン、BARまである。金さへ出せばインターネットやシャワーも浴びることができる。当地に住む人々(主にシェルパ族)はこのトレッカーが落とすお金で生活しているものもいる。
まあそんなことで起点の街、ルクラに着。世界でも危険な空港に数えられる通り、恐ろしく狭い滑走路。崖の上にあるわけなので、着陸前の風の影響がすごく、激しく揺れた。
適当に投げられた荷物を救い出し、並み居るガイドとポーターの客寄せを無視して、やっとルクラの街へ。

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トレッキングの起点となるここルクラにて思うは今回の旅程だ。
十分高度順応してきたつもりではあるが、高山病ばっかりはどうすることもできない個人差がある。今までなったことがない鈍感?な僕ではあるが、さすがに5000m超となると自信がない。

ということで、行けるとこまで行こう!というプラン。ナムチェを過ぎたあたりに日本人が建てたエベレスト・ビューというホテルがある。名の通りエベレストが垣間見れる場所で3800mくらいなので富士山の頂上くらい。最悪ここまでは行こうと決めた。

そこからは未知なる4000mの世界。十分、休憩をとれば行けなくもないがなんせ金が無いので、雲南省で鍛えた身体を信じていくしか無い。

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ルクラはトレッキングの起点となる。


9時発。流れいく川沿いをただ歩く。序盤はそこまできついアップダウンもなく、ただただ歩くだけだ。ロッジやレストランの庭先くらいの近さが道であり、そこを人やヤクが行く。
トレッカーも多いが、ヤク(この辺の高山の牛)、そしてポーターもたくさんいる。

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子供たちは元気満々


さっきからなんやかんや言っているが、ここで道中出会う人々の紹介。
・ガイドとポーター
トレッカーは大抵ガイドかポーターを雇う。
ガイドは道案内。荷物は持たない。英語や日本語ペラペラで宿の予約や食事の配膳、ペースメーカー、歴史や文化説明などなど、まさにつきっきりでガイドをする。たいてい優しいネパール人。
ポーターは荷物運び。白人はだいたい大人数で荷物も馬鹿みたいに多いので彼らが担ぐ。
ガイドが1日20ドル前後でポーターはもうちょっと安い。この辺に住んでいるシェルパ族が多い。このシェルパ族というのはチベット系で日本人に似ている。チベット仏教徒であり、ものすごい荷物も平気で担いですたすた歩いて行く。

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・物資運びのポーターとヤク、ロバ
ポーターはトレッカーの荷物持ちが本業というわけではなく、この辺の物流を担っている。ルクラより上は車も飛行機も入れないため、物資はすべてヤクとロバと人力で上げる。よって道中、食べ物から建築材、ガス缶にビールまですべて彼らが持ち上げていく。
ということで高度が上がるにつれ、物価も上がっていく。
一例・・・ミネラルウォーター 
カトマンズでは100ルピーしない。
ルクラで100ルピー、ナムチェで150ルピー、パングチェ過ぎると200ルピーだ。
一番高い辺のロブチェではファンタ1本350ルピー。400円くらいする。

ヤクは毛の長い牛で5000m超えても生きていける。巨体に荷物をくくりつけ、人にしばかれながら上がっていく。ロバはたまに人も乗せている。
ヤクはこの辺では欠かせない生き物で、荷物運搬から肉、乳、毛皮、骨まですべて利用される。道中、生まれ変わっても絶対ここのヤクにだけは生まれたくないと思うことしばしばでした。過酷。

・トレッカー
90%は白人。だいたい50過ぎの男女混合4人以上のパーティーが一番多かったかな。意外と年寄りが多い。彼らはガイドとポーターを引き連れ楽しそうにトレッキングを楽しんでいる。とにかく白人ばっかし。一人から最高20人以上のグループもいた。
非白人は東洋人が多い。そしてガイドもポーターもなしの完全ソロトレッカーは僕も含めて3人しか見なかった。やはりあまりお勧めできることではないみたいだ。

という人たちの中スタスタ歩いているとひどく疲れが。やはり高度の運動だからかな。
と思っていると気持ち悪くなってきた。まさかこんな序盤で高山病か?
でも高山病の症状ではなく、単純に気持ち悪い。今思えばここで吐いておくべきだったが、痩せ我慢して歩き続けた。

今日はナムチェまで行ったる!!と思っていたがそれどころでない。途中、茶屋で何回も休憩する。
14時、雪が降ってきた。仕方なく、ナムチェより結構前のモンジョで宿泊することに。本当にしんどくなってきた・・・

ここで一人の日本人の女の子に会う。とても小さいのだが、飛行機を使わずに、ジリという一番末端からここまで5日かけて歩いてきたらしい。さらにネパール語も喋れる。いやあ頼もしい。交渉して僕の宿泊費も100ルピーにしてくれた。助かるわあ。
二人でいろいろ話していると気分が・・・彼女が食事に行っても一人ベットで唸る。

まさかの

ここにきての

初・食あたり!!!!

なぜ今なんだ。この3週間無敵だったのに。どうやら中国で無傷だったので調子に乗っていたらしい。出会う日本人にも「すごいなあ」と感心されていたのでつい気が緩んでいたのかも。しかし前日は気をつけて火が通ったもの以外は口にしなかったが、あの屋台のモモ(チベット餃子)があたったのか・・・

ぬうぉおおおおおおおおお

なんか普通の下痢じゃない。これは一体・・・
その後も地獄の苦しみが続く。下痢だけならまだしも吐き気と謎のゲップ。
胃の上あたりからなぞのガスが排出され、動くごとに腹の中を動きまわる。座れば吐きそうになるし、寝れば腹痛。上からも下からも総攻撃。四面楚歌。項羽よ、さぞ辛かったのだろう。今気持ちがわかる。
結局起き上がれず、死にそうになりながらもトイレに駆け込むことを繰り返し晩メシも食えず。女の子曰くこれはネパールでよくみる

食中毒

だとか。ガスが貯まるし下痢はすごいしで大変らしい。
さらにさらに晩メシを食わないということで宿のあんちゃんが文句を言ってきた。なぜなら格安の宿泊代の裏には晩、朝飯をここで食うという掟がある。

ココらへんの物価はカトマンズの2倍以上。晩メシだけでも400ルピー近くなる。それで儲けるので僕みたいな客は最悪なのだ。

食えないんだからしょうがねえだろ!効かないとわかっていても日本の薬を飲むが全くで、朝まで寝たのかトイレ行ったのかわからないのを繰り返した。本当に苦しい・・・
腹内四面楚歌の拷問は朝まで続く。
ラベル:エベレスト
posted by 小太郎 at 19:03| Comment(0) | エベレストトレッキング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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